《昭和42年に見台開きをし、
平成15年に師匠歴35年を迎えます》



古典芸能を一筋に生きる、又行き続けられたのもひとえにお弟子さん、各家元様のお力添えが非常に大であったと感じております。”ありがとうございます。”


幼い頃から芸事に興味を持っていましたが、農林省に務めていた時、一人の小唄師匠と出会い、稽古場が近いこともあり、三味線を抱えた毎日でした。昭和56年、現在は、火星会、作詞家協会とも近く、作詞、そして作曲にと力を入れております。


大正14年丑年生まれ、本名飯島まさい、
さいたま市在住

    
     
    【永井派 初代
     ★ 明治元年6月、下谷金杉下町の松葉屋という酒屋の娘として生まれました。
       
本名 永井婦久(ふく)。
     ★ 幼い頃から芸好きで雲州公の側室に愛されて、種々の芸事を教わりました。
     ★ 昭和 9年蓼胡蝶家元の勧めで永井派を興して、家元となった。
     ★ 名作(都はなれて・世辞で丸めて・苗売り・因果同志・夏の雨 等々)

    【永井派 2代】
     ★ 歌舞伎役者、尾上梅笑は歌舞伎に力を入れ早めに3代目に譲りました。

    【永井派 3代】

     ★ 本木派から演奏家として活躍したが、身体が弱く病気がちだったため、
       初代の心を受け継いだ、今の4代目に譲りました。
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